生きたいと願う人と命を削ごうとする人
喫煙は、高いお金を支払いながらなされる自殺行為であり、加害行為です。喫煙される方のほとんどは、喫煙が有害であることを知っておられます。それでも、煙を吸い、吐き続けるのです。
生と死について考えるとき、ある入院患者さんのことを思い出します。その方は、40歳代の女性で、若いころから膠原病を患い、入退院を繰り返していました。私が担当医だったとき、結核が見つかり、それが脳にまで及んで、全身状態が急激に悪化していました。
「退院したら、たこ焼きを食べたい、病院では食べられないから」とほほ笑んでいたその患者さんの願いは、叶いませんでした。急変したのは、長時間の付き添いで疲労のピークに達しておられたご両親が、容態が少し落ち着いたため、一時帰宅された直後でした。病室に駆けつけた私に、「死にたくない」ともつれる声を絞り出しながら、息をひきとられました。
彼女は、どれだけの苦しみを抱えながら、先の見えない入院生活に耐えておられたのでしょうか。そして、どれほど生きたいと望んだことでしょうか。「たこ焼きを食べさせてあげられなくて、ごめんなさい」。申し訳なさ、やるせなさ、悔しさ、無力感といったさまざまな感情が一気にあふれ出し、涙が止まりませんでした。
世の中には、生きたいと願う人がいる一方で、自ら命を削ごうとする人がいます。そもそも、人間という生き物が、生と死に関して矛盾をはらんだ存在であるといえるのかもしれません。ただ、少なくとも、私のこの小さな手が、患者さんの生への渇望や禁煙の意思を支える力になれますよう。