メニュー

狂気と「壁と卵」

[2023.11.16]

ポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所跡を訪ねたのは、医師として初期研修を終えたばかりのころでした。収容所へと引き込まれた片道切符の鉄道レール。長く続く鉄条網。大量虐殺に使用されたガス室。そこで殺害された人たちの毛髪。それを使って編まれた絨毯。人体実験の記録。「働けば自由になる」とドイツ語で記されたアーチが、澄んだ青空に虚しく浮かんでいました。

人は、脆く、はかない存在です。そして、それぞれに正しさの価値観をもっています。しかし、それが集団としてのイデオロギーと結びつけられたとき、狂気に変わることがあります。かつて、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で起こったことがそうだったように。

弱者の声に耳を傾け、光をあてること。それが、新聞記者を志した動機のひとつでした。医師となってからは、その声を命ととらえ、患者さんの人生と向き合う日々です。一方、そうした声や命が、たやすくかき消されたり、踏み潰されたりしてしまうのが、私たちが生きているこの世界です。

人は、だれでも狂気となりうる。そして、狂気は、強者でなく、まず弱者の生活や命から奪っていく。だからこそ、私たちは、たとえどんな理由があろうとも、弱者の立場に寄り添うことを忘れてはならない。いま、あらためて、作家の村上春樹さんが、2009年にエルサレム賞を受けた際、イスラエルでのスピーチで語った「壁と卵」を思い出します。「もし、ここに硬く大きな壁と、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます」。

▲ ページのトップに戻る

Close

HOME