銭湯とまちの保健室
京都での学生時代、住んでいたアパートが風呂なしだったので、銭湯に通うのが日課でした。「鈴成湯」は、アパートから2筋目を右に曲がったところにありました。石鹸を入れた風呂桶を手にタオルを首にかけ、街灯の照らす夜道を往来したものです。
「かぐや姫の『神田川』みたい」などと、情緒的な気分に浸りながらも、実際には、大変なこともいくつかありました。たとえば、今時のようなジメッとした暑い日。そんな日には、銭湯からアパートに戻ってきたとき、すでに汗だくでした。当初、エアコンを買う余裕もなく、扇風機を抱え込むようにして濡れた体を乾かしていました。また、雪の降る寒い夜には、京都ならではの底冷えも相まって、銭湯を出た途端、足もとから冷気がしみこんでくるようでした。
一方、いい思い出もたくさんあります。アパートの狭い部屋で友人たちと語り合った後、そのまま一緒に銭湯の湯船につかるときの一体感。また、知らないオジサンたちが話しかけてくれて、そこで学んだ大人の流儀や人生観。古来より、銭湯が社交場たるゆえんでしょう。
そういえば、最近、銭湯を「まちの保健室」にしようという取り組みをしている地域のニュースを目にしました。同じ湯に入りながら、ちょっとした世間話にあわせて、体の気になる症状を話してみる。そうした声を医療関係者が拾って、場合によっては、はやめの医療機関への受診を勧める。医療サービスとして捉えても、とてもユニークな試みです。
当院が、みなさんにとって、銭湯のような空間でありますように。