水無月と風待ち
旧暦の6月を指す水無月の由来には諸説あるようですが、「無」は、「なし」ではなく、助詞の「の」を意味し、「水の月」と解釈する説が有力なようです。ちょうど田んぼに水を引くころで、豊かな水の広がる風景が思い描かれます。そう考えると、梅雨入りの時期にあたる新暦の6月のイメージと、通じるところがあるともいえます。
この時節、神社でみかける夏越(なごし)の祓(はらえ)は、水無月を代表する神事です。大きな茅の輪をくぐって参拝することで、無病息災や家内安全を願います。また、夏越ごはんという、雑穀米に夏野菜をのせたメニューもあるようです。
旧暦6月の異称として、水無月のほか、風待月という言葉があります。暑さの続く中、涼やかに流れる風を待つ、そんな月。風待月という美しい表現からは、ジメジメとした多雨の印象を微塵も受けません。
ボブ・ディランの曲に、”Blowin’ in the Wind (風に吹かれて)”があります。この歌で、ディランは、人権や自由、戦争について問いかけています。長引く新型コロナ禍や戦場の惨状を伝えるニュースに、胸を痛める日が続いています。答えは、きっと風に吹かれている、そう、私たちは、いま、その風を待っています。水無月に思いをはせながら、学生時代にカセットテープがすり切れるぐらい何度も聴いたこの曲を、久しぶりに再生してみたくなりました。