成人の日と「二十歳の原点」
元服の儀にならい1月15日に定められていた成人の日は、2000年以降、1月の第2月曜日に変更されました。徳山市時代の成人式に出席したときの自らを振り返ったとき、長髪にバンダナのスーツ姿という風来坊で、年齢だけが大人の仲間入りをし、幼形成熟、つまり、ネオテニーよろしく、中身は成長期のままであったような気がします。
自身が20歳だった当時、学生運動は全国的にも既に下火になっていました。しかし、私が通っていた大学では、なおその活動が息づいており、講義が中断したり、寮や時計台が占拠されたりといったことが度々ありました。いわゆる安保闘争時代を駆け抜けた学生たちは、何に対して怒り、悩み、叫んだのか。あのころの私は、関連した文庫や新書を探しては読みあさっていました。
そのうち、いまも心に強く残るのは、高野悦子さんによる日記「二十歳の原点」(新潮社)です。学生運動が盛んだった1960年代終わりを生き、そして、20歳で自殺した1人の大学生の、理想と現実の間で揺れ動く若き孤独が、同じく京都で暮らした当時の私自身に、どれだけ投影されたことか。同書の中で、1月15日に書かれた一節が、せつなくも象徴的です。「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」。
成人の日。それは、きっと、自らがいまだ成長の途上にあることを認識するための出発点なのでしょう。