温泉と心不全
秋が深まりゆくにつれて、温泉の湯けむりが恋しくなります。訪ねた先に、ちょっと鄙びた温泉があると聞くと、つい足をのばしたくなってしまいます。
学生時代に、友人と青春18きっぷで、冬の東北地方を巡ったことがあります。真っ先に思い出されるのは、岩手県で宿泊した山間にある温泉宿の、自炊部屋を仕切る薄く湿った壁や、秋田県で雪の降り積もる夜の畦道をひたすら歩いて辿り着いた、民家の地下にある岩風呂に灯るランタンなどです。私自身の温泉に対する憧憬は、「ねじ式」などで有名な漫画家・つげ義春の作品による影響を、過分に受けているかもしれません。
さて、温泉に入る際、心臓に病気のある方のご入浴はご遠慮くださいなどと書かれた表示を見かけたことはありませんか。確かに、長時間の高温浴は、循環動態に悪い影響を与えるおそれがあります。一方、慢性心不全に対する治療法のひとつに、サウナによる発汗や適切な水分補給を組み合わせることで血液の循環を改善させようという考え方があり、一部の医療機関で実践されているようです。
古来より、湯治という表現があります。適切な医療指導のもと、温泉で心と体の垢を落としながら、心不全となった全身の循環動態を癒していく。そうした治療法が確立されれば、高齢の患者さんにありがちな多剤大量療法の問題などを解決できる糸口になるかもしれません。自宅の狭い湯舟につかりながら、ふと、そんな夢想をしました。