震災と不条理
震災から31年となった先週末、神戸にいました。
震災当時、京都で大学生だった私は、大きな揺れと、棚から落ちてきた本で目覚めました。すぐにテレビをつけると、京都や奈良で大きな地震があったようだと報じていました。その後、急に画面が切り替わり、燃える神戸の街が映し出されたのは、しばらくしてからでした。
震災から5年目には、新聞記者として阪神支局にいました。住んでいた西宮では、当時、最後の仮設住宅が残っていました。いまだ空き地の広がる都会の風景を目のあたりにし、震災からの復興とはなにかを自身に問い続けながら取材しました。
今回、三宮駅から西宮駅まで阪神電車に乗り、車窓から阪神間を眺めました。夜に連なる街の灯りは、人々の営みが生む輝きに満ちていました。しかし、被災した人たちの心には、決して忘れることのない、そして、取り戻せない時間への哀しみが、いまもかわることなく続いているような気がしました。
不条理、そんな言葉がふと思い浮かびました。
大切な家族や友人との別れ、突然知らされた病気に対する余命宣告など、私たちの世界は不条理に満ちています。「なぜ、自分だけがこんな目に」という経験をお持ちの方も多いでしょう。さまざまな病気、たとえば、高血圧や糖尿病、心不全やがんだってそうです。決して、あなた自身のせいだけで起こったわけではありません。
ただ、病気になってしまったからには、それに目を背けずに、目標をもって一歩ずつ進んでいく。そして、そのためのパートナーであり、トレーナーが、私たち医療者です。
不条理は、受け入れがたいものです。ですから、本当の意味での納得なんてできません。それでも私たちは、いまを生き抜いていくために、前を向かざるをえないのです。
